会社概要

四代、それぞれの使命。

人には、それぞれの時代に託された使命がある。

同じ道を歩むわけではない。
同じ仕事をするわけでもない。

けれど、自分が信じるもののために生きるという志は、世代を超えて受け継がれていく。

その物語は、明治の出雲から始まった。


明治17年(1884年)、出雲市下横町に一人の男の子が生まれた。

後に日本画家として名を残す、竹田霞村である。

東京美術学校に特待生として入学し、近代日本画の巨匠・下村観山に師事した霞村は、将来を嘱望された存在だった。

だが、彼は中央画壇の名声や地位を追い求めなかった。

霞村が生涯をかけて向き合ったのは、日本画そのものの美しさだった。

琳派、四条派、水墨画——。

ひとつの流派に留まることなく、日本が育んできた多様な美の表現を学び、その魅力を描き続けた。

名を上げるためではない。

日本の美を残すために。

誰かに評価されることよりも、自らが信じる美に誠実であり続けた。

美を、後世へ残したい。

それが霞村の使命だった。


やがて時代は移り変わる。

戦後復興を経て、日本が大きな成長を遂げようとしていた頃。

霞村の長男・太郎は、農業の世界で歩みを進めていた。

太郎は農業試験場長として、地域農業の発展に携わっていた。

研究し、指導し、農業を支える立場にあった。

しかし彼は、その安定した道に留まらなかった。

太郎が見つめていたのは、机上の数字ではなく、現場で汗を流す農家の人々だった。

高度経済成長のなかで、島根の農村もまた大きな変化の渦中にあった。

多くの若者が都市へ向かい、農業を取り巻く環境も変わり始めていた。

そんな時代だからこそ、農家のもっと近くで力になりたい。

その想いを胸に、太郎は農業試験場を離れ、自ら農園を創業する道を選んだ。

父・霞村が名声よりも信念を選んだように。

太郎もまた、地位よりも現場を選んだ。

ふるさとの農業と暮らしを支えたい。

それが太郎の使命だった。


その農園の一角に、やがて新しい芽が生まれる。

造園という仕事だった。

その芽を育て、一つの事業として確かな形にしたのが、霞村の孫・雅彦である。

時代はさらに進み、街の景色は大きく変わっていった。

便利さと引き換えに、緑は少しずつ姿を消していく。

そんな中で雅彦が信じたのは、水と緑の持つ力だった。

木々がつくる木陰。

季節を知らせる花々。

人の心を和らげる潤い。

自然は単なる景観ではなく、人が豊かに生きるために欠かせないものだと考えていた。

祖父・霞村が絵筆で美を守ろうとしたように。

雅彦は水と緑で、人が心豊かに暮らせる風景を守ろうとした。

ふるさとの風景を豊かにしたい。

それが雅彦の使命だった。


そして今。

霞村から数えて四代目となる和彦が、TakezoFarmを立ち上げた。

和彦が向き合っているのは、一軒一軒の暮らしである。

朝、玄関を開けたときに見える景色。

子どもが駆け回る庭。

家族で過ごす休日のテラス。

庭は単なる外構ではない。

そこには家族の時間が流れ、思い出が積み重なっていく。

だから私たちは、流行だけを追わない。

見た目だけの庭をつくらない。

お客様の暮らしにとって本当に必要な空間とは何かを考える。

使い始めてから心地よさを実感できる庭こそ、本当に価値のある庭だと信じている。

霞村が美に誠実だったように。

太郎が現場に寄り添ったように。

雅彦が自然の力を信じたように。

私たちもまた、一人ひとりの暮らしに誠実でありたい。

庭の魅力で、豊かな暮らしを届けたい。

それが和彦の使命であり、TakezoFarmの使命である。


霞村は美を残した。

太郎は農業を支えた。

雅彦は緑のある風景を守った。

和彦は庭を通して暮らしを豊かにする。

時代も違う。

仕事も違う。

けれど四代が選んできた道には、一つの共通点がある。

それは、自分が信じる価値のために生きること。

そして、自然の力を通して人々の暮らしを豊かにしたいと願うこと。

その志は百年以上の時を超え、今も受け継がれている。

TakezoFarm。

四代の使命を、あなたの暮らしへ。

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